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静岡地方裁判所 昭和38年(モ)379号 判決

債権者 静岡マツダ株式会社

債務者 高木モータースこと高木忠平

主文

債権者および債務者間の当庁昭和三八年(ヨ)第一一八号仮処分申請事件について当裁判所が昭和三八年七月四日になした仮処分決定は、これを認可する。

訴訟費用は債務者の負担とする。

事実

第一、当事者双方の申立

債権者訴訟代理人は、

主文第一項と同旨の判決

を求め、

債務者訴訟代理人は、

主文第一項掲記の仮処分決定はこれを取消す

債権者の本件仮処分の申請を却下する。

との判決を求めた。

第二、債権者の主張

甲、申立の理由

別紙〈省略〉物件目録記載の自動三輪車一台(以下本件自動車という)は債権者の所有に属するものであるところ、債務者においてこれを占有している。

そこで債権者が債務者に対し本件自動車の返還方を求めたところ、債務者はこれに応じないのみか本件自動車を他に売却しようとする虞れもある。

よつて債権者は右所有権にもとづく本件自動車引渡請求権の執行を保全するため、静岡地方裁判所に仮処分の申請をなし(同庁昭和三八年(ヨ)第一一八号事件として係属)、右申請を認容する左記仮処分決定、すなわち、

「債務者の本件自動車に対する占有を解き、債権者の委任する静岡地方裁判所執行吏の保管に付する。

執行吏はその保管にかゝることを公示するため、その他保管方法について適当な処置をとらなければならない。

債務者は本件自動車につき譲渡質入その他の一切の処分ならびに使用をしてはならない」旨の決定を得たが、右決定は相当でありいまなおこれを維持する必要があるから、その認可を求める。

乙、債務者の主張に対する反駁

一、債務者主張の後記第三の事実のうち債務者がその主張のように平野栄市から本件自動車を買受けたこと、債務者が本件自動車につきその主張のような売買契約を望月重雄との間に結んだことはいずれも知らない、その余の事実もすべて争う。

二、平野栄市は債務者主張の代理権を有するものではない。

平野は、債権者にその販売する各種自動車の買手を紹介し、債権者と買主との間に売買契約が成立し代金が完済された場合に一定の手数料を債権者から受取る・いわば売買の仲介人にすぎないものであつて、右販売について債権者を代理するなんらの権限をも有しない。仮に平野が本件自動車につき債務者主張のような売買契約を結んだとするならばそれは代金分割払の方法によつて自動車を販売する場合にあたるわけであるが、かような月賦販売による場合には、平野は債権者に対して買主を紹介し債権者が一般的に定めている分割払方式の条件に合する範囲内で契約内容を個別的に取極めてこれに対する債権者の承諾を得これに副う所定形式の契約書を作成してこれを債権者に提出し債権者において社長印を押捺のうえ平野を経て買主に右契約書を手交することにより始めて債権者買主間に直接売買契約が成立するのであつて、平野は右契約の媒介をするのみである。そして債権者は、代金完済までは必ず売渡自動車の所有権を留保することとし、平野に対しては代金完済後所定の手数料を支払うこととしているのである。かように単なる仲介者にすぎない平野が昭和三八年六月一〇日「車を客に見せたいから貸して貰いたい」旨債権者に申入れて本件自動車を持去つたまゝ返還しないのであつて、仮に平野が債権者の代理人として本件自動車を債務者に売却したとしても、平野はかような代理権限を有せず、従つて右売買により債務者が本件自動車の所有権を取得することはできない。

三、債務者の表見代理の主張もまた失当である。

1、平野の店舗には「マツダ」と表示された立看板と債権者の販売する各種自動車の商品宣伝用の看板ポスター、たとえばマツダ三輪トラツクと記入されたもの等が掲示されているが、これらにはなんら代理店なる表示はない。右立看板は債権者の宣伝用のものであり、誤解をさけるため代理店の表示はさせていなかつたものである。その他の看板ポスターはいずれも債権者の販売する各種自動車の宣伝用のものであり、いずれも商品名の記載があるのみで代理店の表示はない。また平野の店舗は外観上も自動車修理工場であることは明らかであり、シヨウインドー等の新車展示設備もない。従つて債権者が一般世人に対し債権者の自動車の販売代理権を平野に与えた旨表示したということはない。

しかも債務者はすくなくとも一〇年以上前から自動車の販売修理を業とする熟達した商人であり、平野とともに同一の同業組合に加入して時折会合しては取引等について話し合い自動車の販売方法についても極めて精進していたものである。かような商人である債務者が右のような看板類が平野の店頭に掲げられていたからといつて直ちに債務者が平野モータースを債権者の代理店と誤信することはあり得ない。仮にそのように誤信したとすればそれは債務者の重大な過失である。

2、債務者がその主張するとおりの代金三五〇、〇〇〇円で本件自動車を平野から買受けたとすれば、その買受価格は不当に安価である。

本件自動車を含むこれと同種の六三年型マツダ自動三輪車TUB八一の全国(ただし北海道を除く)統一販売価格は一台当り金四七五、〇〇〇円であり、この価格は右自動車のメーカーである東洋工業株式会社により北海道以外の全国を通じて厳格に指定されているものである。通常の商取引の慣行として全国統一価格を金一二五、〇〇〇円も下廻る金三五〇、〇〇〇円という安価な代金で右自動車を売却することは考えられない。しかも本件の場合には、代金分割払方式があわせとられている点、本件自動車の売却を斡旋して平野が取得し得る手数料は金四〇、〇〇〇円であり、この手数料額を斟酌してもなお金八五、〇〇〇円の損失を自から蒙りながら売却の斡旋をしていることになる点において、右のような廉売が取引の通念に反することは明らかである。

債務者主張のとおり自動車業界の販売競争は相当激しいものではあるが、決して病理的現象を呈しているのではなく、むしろ貿易自由化を控え自由競争を通じ飛躍的発展を遂げようとする極めてノーマルな生理的現象にすぎず、旧年式の自動車等については在庫処分のため値引きすることも行われているが、本件自動車の如き最新型のものについてはその全国統一価格を破ることはあり得ない。新型車のダンピングは自動車業界の共倒れを招来するため各社とも厳にこれを禁じており、全国統一価格の設定もこのダンピング防止のためであつてこれを破ることはあり得ないことである。

そしてこれらのことは業者間においては公知の事実とされているのである。なお債務者は三五〇、〇〇〇円の代金が決して安くない旨主張しその理由の一つとして本件自動車が金三〇〇、〇〇〇円で競売換価されたことを挙げているが、右競売は昭和三八年一二月七日に行われたもので、当時既に同年九月二一日からマツダ号六四年型が発売されてから二ケ月余を経過していたのと、任意売買とは異なりいわゆる競売価格(時価以下)であつたことのため、そのような安い価格で競落されたのである。自動車の売買にあつては、新車が発売されると同時に旧年式のものの価格は急に下落し、本件自動車の場合その価格は、七〇、〇〇〇円ないし一〇〇、〇〇〇円程度直ちに低下し、さらにその後、刻々に低下してゆくものであつて、このこともまた公知の事実である。しかし本件自動車が売却されたと主張される昭和三八年六月一〇日当時においては、本件自動車は六三年型の新車であつて前記統一価格を割つて売買されることはあり得ないことであつた。

ところで本件自動車の全国統一価格およびその販売手数料額は業者間に広く知られており、より高い手数料を支払う販売会社の車の売買斡旋をなすのが通常であることを考えると、斯業に熟達した商人である債務者は平野が損失を蒙ることを知つていたものというべきであり、このようなことを許す自動車販売会社のないこともまた充分知つていたものというべきである。

3、自動車を代金分割払の約束で販売する場合には代金完済まで所有権を留保するのが商取引の慣行であり、また売買契約成立と同時に契約書を作成するのが通常の商取引であるのに、債務者は内金二五〇、〇〇〇円の納入と同時に本件自動車の所有権を取得したと主張し、また右納入時から本件仮処分の時までの約一ケ月間の長きにわたり債務者は債権者に対し契約書の作成方を請求したこともなく現に契約書は作成されていない。債務者のような商人が右の慣行を知らないはずがなく、このような慣行に反する取引をしながら平野を代理人と信じていたものとは考えられない。すくなくとも右誤信には過失がある。

4、平野程度の規模の商人に代理権を与えてこれに自己の自動車を販売させている会社は皆無といつてよく、大部分の販売会社は右商人に売買の斡旋をさせこれに対し手数料を支払う方式を採用している。このことは債務者も知つていることである。

第三、債務者の主張

一、債権者主張の前記第二、甲の事実中本件自動車が債権者の所有に属することは否認する、その余の事実は認める。

二、債務者は昭和三八年六月一〇日債権者の代理人である平野モータスこと平野栄市から債権者所有の本件自動車を代金三五万円で買受けてその所有権を取得し、同日内金二五万円を支払うのと引換えに栄市から本件自動車の引渡を受けた。もつともその際、債務者が同年七月一日までに本件自動車を顧客に売却できないときは右売買契約は合意解除となり右金二五万円についてはこれに対する利息としての金三千円を附加してその金額を返還すべき旨の約定が両当事者間に結ばれたのであるが、債務者は右期限前である同年六月一五日望月重雄との間に同人より下取車(ジヤイアント号)の提供と追金四〇万円の支払とを受けて本件自動車を同人に売渡すべき旨の売買契約を締結したので、債権者代理人との前記売買契約が合意解除されることもなくなつた。

平野栄市は債権者を代理して債権者所有の自動車の販売、販売代金の受領、代金債務不履行の場合における自動車の顧客よりの引上げ等自動車販売に伴う一切の行為をなす権限を債権者より付与されており、債権者のため継続的にかような代理行為をなしているものとして、いわゆる代理商にあたるものである。しかもこのことは債務者を含む一般世人の認識しているところであつたから、本件自動車売買契約にあたつても、平野において特に本人のためにすることを示す方式をとる必要がなかつたのである。

三、仮に平野が右諸権限のうち自動車売買契約締結の代理権についてはこれを有しなかつたとしても、表見代理の法理に従い、債権者は平野が自己の代理人としてなした本件自動車売買につき本人としての責に任ずべきである。

(イ)  債権者は平野モータースの店頭にその販売する自動車の商標車種であるマツダ、マツダ軽四輪B三六〇、マツダK三六〇等の立看板、表示板を備付けさせ、一般世人に対し右自動車の販売代理権を平野に与えた旨の表示をしたものというべきであり、また、

(ロ)  平野はすくなくとも債権者所有の自動車について代金の受領、引渡および引上げ等をなし得る代理権を有するものというべきところ、

平野の債務者に対する本件自動車の売渡は、(イ)の代理権の範囲内においてなされた行為であり、また(ロ)の代理権を踰越してなされた行為であるが、債務者は平野に右代理権ありと信じて本件自動車を買受けたのであり、且つ、かように信ずべき正当の理由を有していたのである。

この正当理由の存したことは次の諸点よりみて明らかである。

(1)  債務者は世間一般の顧客とは異なる業者であるけれども、マツダの自動車を専門に扱つているわけではなく、他の種類の車についてはマツダの車とは全くその取扱方が異つているのであるから、本件自動車の買受けについては債務者を一般の素人と同様に考えてよい。

(2)  債務者が支払を約した売買代金三五万円は決して安くはない。現在自動車業界は過当競争の情勢にあり、また自動車の販売は典型的な近代的商取引であるから、資金繰りその他の事由から統一価格を割つて売買することも稀有なものではない。現に本件自動車も債権者立会のもとに金三〇万円で競売換価されている。

(3)  債権者は一般顧客に対し平野モータースを自己の協力店、下店、代理店という名称の下に宣伝していた。下店という名称は平野モータースが債権者の下部組織に属するものであることを示すものにほかならない。

(4)  債務者は従前も平野を債権者の代理人としてこれと取引をして来たのであるが、今迄なんらの支障も生じなかつた。債権者に対する関係においては平野と同じ地位にある市川モータースは債権者の代理店という名称を附記した封筒を使用しているが、債権者はこれを容認しているのである。

(5)  債権者は、平野は債権者と顧客との間にあつてその仲介をするものにすぎないという。しかしながら、平野の地位を、たとえば不動産売買の斡旋をする者(不動産業者)等と同一に考えるのは、以下の諸点よりみて不合理である。

第一に、不動産の場合には売主となる者はその物件毎に異なるのに対し、本件のような場合には常に平野と継続的な取引関係に立つている者(債権者)がその同一の商品(マツダ車)を供給しているわけである。第二に、自動車は登録という技術的制度を有するにせよ本質的には動産である。しかも代替物が無数に存在する商品である。第三に、不動産は時間の経過により価額の上がつてゆくのが公知の事実であるのに対し、自動車は刻々その価格が下がつてゆくといつても過言ではない。

これらの諸事情も前記正当理由を肯定する判断の背景をなすべきものである。

(6)  さらに以下に述べるような事情が正当理由の有無を判断するにあたつて債務者に有利に考慮されるべきである。

企業が販路を拡大しようとする場合に自己の営業所を新設したりセールスマンを派遣したりしてやるには相当多額の経費を必要とする。そのうえ、土地の事情に通ぜず顧客の需要を知らなかつたりして、自己の手足による処女地の開拓はなかなか容易でない。そこでその地方の事情に通じ信用のある者を代理店として利用しようとする。このような要請が代理商制度の発展をもたらしたものと考えられる。

本件において、債権者と平野とは明示の契約による明確な法律関係におかれているわけではない。「代理店」というから代理権があるというわけにもいかないが、「協力店」「下店」というからといつて代理権がないというわけにもいかない。長年の慣行によつて形成された状態によつて両者の法律関係を判断するほかはない。ところで両者間に明確な契約がないということは、むしろ債権者にとつてそのような状態が好ましいからではないだろうか。

自動車の販売会社がそのセールスマンによつて直接顧客と交渉し契約し代金の受領集金をする方式の方が中間に平野のような商人が介入する方式よりは販売会社に好ましい。たとえば静岡トヨペツト株式会社は静岡県下におけるトヨペツトコロナの販売元であるが、県下に数ケ所の営業所をもち、契約集金等はすべてそのセールスマンが行う。いわゆるモータースという者から情報を提供してもらう場合にも、モータースは全くの情報提供者にすぎずいわゆるアンテナ料として少額の手数料の支払を受けるだけである。

債権者の持つている販売方式が右の方式と違うものであることは間違いない。中間マージンを排除して総販売元の利潤を大きくするには静岡トヨペツト株式会社の採る右の方式によることが望ましいとしても、それには確固とした販売網をもたなければならない。そのようになるまでの過渡期には、どうしても地元のモータースを利用していかなければならない。地元のモータースを利用するには、そのモータースに代理権があるような、ないような関係にしておくことが債権者にとつて好ましい。

このような関係の下にあつては、顧客はモータースのお客であり、債権者には一面識もないものである。債権者がその自動車をかような顧客に売るのは顧客の信用によつてではなく、その間に立つモータースの信用によつて売るのである。債権者がモータースに手形を裏書させる根拠もそこにある。これだけの責任をモータースにもたせながら、これを単なる仲介者として位置つけることはモータースの反撃を招く。その反撃を緩和するために、債権者はモータースに自己の代理店であるかのような装いをあたえる。他面、本件のような場合とか平野モータースが顧客の代金を受取りながら債権者に払込まないような場合とかに対処するためには、モータースに代理権がないような法律関係にしておく方が債権者に有利であると考えられる。たとえば、平野モータースと同様の地位にある市川モータースが前記のように債権者の代理店であるかのような表示をしても、債権者はそれが営業政策上得策と考えれば別にこれを禁止しようとはしない、が表面だつてそれを許可するということもしない。これは、上述の両方の要請があるからである。

債務者には、マツダの車を「マツダのグループ」から買つたのだという感情がある。平野モータースが債権者の手足であると考えるにせよ、その代理人であると考えるにせよ、それらはいずれも後からつける論理にしかすぎない。表見代理の正当事由の有無を判断するに際し、債務者のこの感情は保護されなければならない。しかも債務者の右の感情は債権者が好んでそういう感情の出来ることを有利としこれを醸成して来たものといつてよい。不注意によつて出来上がつたものではなく、債務者等(顧客)がそう思うことを債権者は本件の起こるまでは期待していたのではないだろうか。

民法一〇九条一一〇条等の表見代理は取引の安全を保護するための外観主義のあらわれであるが、迅速を尊ぶ近代商品たる自動車(本質的には動産である)の取引においては、特に外観(表示)の強い公信力が認められるべきであろう。そして債権者においてかつては平野モータースが自己の代理人であると一般から受取られることを期待しそのように行動して来たということは、債権者がそれに反する実体を主張することを許さないものというべきである。

四、以上のように債務者は債権者代理人平野栄市から本件自動車を買受けてその所有権を取得し――仮に平野に右代理権がないとしても表見代理により債権者はその本人としてその責に任ずべきである――、この所有権にもとづいて本件自動車を占有しているのである。従つて債権者は本件自動車について所有権およびこれにもとづく引渡請求権を有せず、本件仮処分はその被保全権利を欠くものというべきであるから、失当として取消されるべきものであり、債権者の本件仮処分申請は却下されるべきである。

第四、疎明〈省略〉

理由

第一、成立に争いのない甲第一号証と証人加茂泰勇の証言(第一回)とによれば、債権者が昭和三八年四月四日東洋工業株式会社からその製造にかゝる本件自動車の譲渡を受けその所有権を取得したことが疎明される。

第二、ところで債務者が本件自動車を占有していることは当事者間に争いがないところ、債務者は債権者の代理人より本件自動車を買受けてその所有権を取得した-仮に右代理人に代理権が存しないとするならば表見代理の法理により債権者は本人としての責に任ずべきものである-のであつて、この所有権にもとづき右占有をなす旨主張するので、以下この点について検討する。

(一)  証人平野新治郎の証言(第一回)によつて真正に成立したものと認められる乙第一ないし第三号証、債務者本人の供述によつて真正に成立したものと認められる同第四号証、成立に争いのない乙第五号証と証人平野栄市、同平野新治郎の各証言(第一、二回)および債務者本人尋問の結果とによれば、次の事実が一応認められる。

昭和二九年四月頃から清水市内で平野モータースという商号の下に自動車修理販売業を営んで来た平野新治郎-平野モータースの営業主は名義上同人の実弟平野栄市となつていたが、それは栄市が自動車の運転修理の技術と資格をもつていたためであつて、実際には新治郎が販売、経理その他一切の経営を主宰し、栄市はその指示を受けて自動車の運転、修理等の技術面を担当しているにとどまつていた。-は、その営業に失敗した昭和三八年六月二四日不渡手形を出し、多額の負債を残したまゝ倒産閉店するに至つたのであるが、その直前の同年同月一〇日手形決済資金二五〇、〇〇〇円を同日中に調達する必要に迫られたため、同市内で高木モータースという商号の下に自動車修理販売業を営み新治郎ともかねてより知合いの間柄である債務者に対しあらかじめ電話で車を一台買つてもらいたい旨依頼し、他方、実弟栄市を債権者の下に赴かせて車を客に見せたいから貸してもらいたい旨申出でさせその係員より本件自動車の交付を受けたうえ、これとともに債務者を訪れ、今日手形を落すために現金二五〇、〇〇〇円がほしので本件自動車を買つてもらいたい旨懇請した。

債務者は昭和二二、三年頃から前記業務に従事しているものではあるが、その取扱う車種は主として愛知機械工業株式会社の製品であるジヤイアント号ないしコニー三六〇でありマツダ号の自動車の販売を取扱うことがすくなく当時本件自動車を顧客に売捌き得るあてもあまりなかつたためもあつて、二五〇、〇〇〇円の現金を渡す場合には値段をいくらに勉強してくれるのかと問うたところ、新治郎より本件自動車は価格金四七五、〇〇〇円の車であるが、代金三五〇、〇〇〇円で売渡してよい旨の答を得たので、こゝに両者間に下記(1) の合意が成立し、なお短期間内に本件自動車を顧客に販売し得ない場合をも慮ばかつか債務者の申出でにより下記(2) の合意も成立し、その場で右各合意に従い金二五〇、〇〇〇円が債務者より新治郎に支払われるのと引換えに本件自動車が同人より債務者に引渡された。

(1)  債務者は同日本件自動車を代金三五〇、〇〇〇円で買受け、内金二五〇、〇〇〇円を新治郎に交付するのと引換えに同人より本件自動車の引渡を受けること。なお残金一〇〇、〇〇〇円については、本件自動車が債務者において今後売渡すべき顧客の所有名義に登録されたときこれと引換えに債務者より新治郎に右金員を交付すること。

(2)  債務者において翌七月一日までにその顧客に本件自動車を販売することができないときは、(1) の売買契約は当然合意解除となり、新治郎において本件自動車を引取るとともに、すでに受領している右金二五〇、〇〇〇円を、これに対する同日までの利息分として金三、〇〇〇円を附加して債務者に返還すること。

その後いくばくもない同年六月一五日頃債務者は農業を営む望月重雄との間に同人よりその所有の自動三輪車ジヤイアント号一台をいわゆる下取車として譲受け且つ追金四〇〇、〇〇〇円の支払を受けて本件自動車を同人に売渡すべき旨の売買契約を締結した。しかし買主望月重雄が当時農繁期にあたつていたため右契約の履行が遷延し同年同月二五日に至り漸く同人より本件自動車の登録手続に必要な印鑑証明書が債務者に提出されたのであつたが、その前日に新治郎が前記のように倒産したことより爾後債権者において本件自動車の返還方を強く求める態度に出たため、右契約は事実上履行し難い状況に立ち至つた。

以上の取引において、平野モータースこと平野新治郎は債権者の代理人とし債務者との間に前記契約を締結し、債務者もまた平野を右代理人となして右契約を結んだ。

(二)  締約代理権の存否について

ところで前示甲第一号証、成立に争いのない甲第四ないし第六号証、証人加茂泰勇の証言(第二回)によつて真正に成立したものと認められる同第八号証、成立に争いのない乙第七号証、第一一ないし第一三号証、証人市川嘉一の証言によつて真正に成立したものと認められる同第八号証、証人平野新治郎の証言により真正に成立したものと認められる同第一〇号証の一ないし四、第一四号証の一ないし三、ならびに証人加茂泰勇(第一、二回)(一部)、同水上勇(一部)、同大滝輔一、同松下隆、同市川嘉一(一部)および同平野新治郎(第一、二回)(一部)の各証言を総合すると、次の事実が一応認められる。

債権者は東洋工業株式会社との特約にもとづきその製品である自動車マツダ号の静岡県下における総販売元として右会社より所定台数のマツダ号諸車の割当譲渡を受けこれを右県下一円に販売しているものであるが、その販売方式は、債権者会社の商業使用人であるセールスマンによつて直接顧客に売渡す方法-これを直売という-と販売店を介して売渡す方法-これを副売という-とに二大別されている(昭和三八年五月ないし一〇月分の販売割当台数表(乙第七号証)によれば、副売方式による右割当台数は合計一、四九八台、直売方式によるそれは一、五〇二台とされているように、当時、前者による販売実数と後者によるそれとはほゞ相等しかつた)。

この販売店は、債権者と直接のつながりを持ち、マツダ号車のうちの軽車輛のみの販売にあたる専売店を除くと、営業規模の比較的大きい合計約一一点の「サブデイーラー」-債権者の販売地域すなわち静岡県下一円は一一地区に分けられその各地区毎に原則として一個のサブデイーラーが置かれている(例外的に一地区に二店のサブディーラーの置かれているところも存する。)。株式会社清庵マツダは右地区の一つである清水市および静岡県庵原郡をその担当販売区域とするサブデイーラーとして昭和三四年一〇月始頃以降から債権者と取引関係に立つている。-と比較的小さい多数の「協力店」-右各地区内に相当数あり、通常当該地区のサブデイーラーを介してのみ債権者と交渉をもつように取りきめられている。この趣旨において協力店はその所在地を販売地区とするサブデイーラーに従属する立場におかれてあり、右の立場上、下店(したみせ)とよばれることができる。本件発生当時平野モータースはその所在地を阪売地区とする株式会社清庵マツダの協力店・下店の一つとなつていた。-とにわけられる。そして協力店がマツダ号新車の一般顧客への販売を取扱う場合には、当該新車を自己の所属するサブデイーラーから-たまたま右車輛が右サブデイーラーの店輔に置かれていないときはその了解の下に債権者から直接に-借受けて来て顧客に見せ、その売買について交渉をすすめる。顧客が売買代金全額を一時に支払う旨約するときには、この旨の売買契約書は格別に作成されることなく、協力店よりこの旨をサブデイーラーを介して告げられた債権者においてその手許に留めてある東洋工業株式会社より自己への当該自動車の譲渡証明書を用いて顧客名義への登録手続を済ませ登録番号票、検査証等の下附を受けてこれらを協力店に交付し、協力店においてこれらとともに右自動車を顧客に引渡すのと引換えに右代金の支払を受け、これをサブデイーラーを介して債権者に納入する手続がとられ、右代金の納入に対し所定の扱い手数料が債権者よりサブデイーラーに、サブデイーラーから協力店に支払われる。この手数料は本件自動車と同種の六三年型TUB八一型の場合にあつては、債権者によつてあらかじめ次のように定められている。すなわち前記製造会社によつて一律に右車輛の全国(ただし北海道を除く)統一販売価格は金四七五、〇〇〇円と定められているのであるが、月間八台以上の販売取扱い実績をもつサブデイーラー(株式会社清庵自動車はこの部類に入る)に対し右車輛一台あたり扱い手数料として金四五、〇〇〇円が債権者から支払われ、ついで、右金員の内金三五、〇〇〇円ないし四〇、〇〇〇円位がサブデイーラーから協力店へその扱い手数料として支払われる。ところで多くの場合顧客は割賦販売の方法によることを希望する。そのときは債権者があらかじめ一般的に定めている割賦販売条件の範囲内において協力店および顧客間の折衝により一応とりきめられた賦払金の額、その支払の時期方法その他の必要事項を、協力店においてあらかじめ自己の手許に債権者から送付されて来ている自動車分割払売買契約書用紙(甲第五号証)二通および無償使用貸渡契約書用紙(甲第六号証)一通の各該当欄に記入し買受人および借受人欄に顧客の署名捺印を得たうえ、なお場合によつては連帯保証人欄に協力店自身がその住所氏名を記入押印し、これらをサブデイーラーを経て債権者の許に提出し、債権者が右各書面に記載された諸条件を承認しその売渡人および貸渡人欄にすでに印刷ずみの債権者会社名下に社長印を押捺したときに、はじめて債権者および顧客間に直接に右各書面に記載されたとおりの所有権留保付割賦販売契約および使用貸借契約が成立する。ついで債権者において右各契約書および前記譲渡証明書により自己を所有者とし顧客を使用者とする当該自動車の登録手続を経由し登録番号票等の下附をも受け、これらを前記自動車分割払売買契約書一通とともに協力店に交付し、協力店は右契約書番号票等を附して自動車を顧客に納入し、その後一週間位以内に自己名義の受取証書と引換えに顧客より最初の賦払金の支払を受けるとともに爾後の各賦払金支払のための各手形の振出交付を受けたうえ、サブデイーラーに対し右金員の交付と右各手形の裏書譲渡とをなし、サブデイーラーにおいては更に債権者に対し同様右金員の交付と右各手形の裏書譲渡をなし、債権者より発行された債権者名義の右金員受取証書はサブデイーラーを経て協力店に渡され、協力店においてさきに自己名義で作成交付した受取証書の返還を受けるとともに債権者の右受取証書を顧客に交付するよう求められる。かようにして割賦販売契約が成立しその第一回の賦払金の授受がすまされると、これに対し前記の現金売買におけると同様の手数料の支払がなされる。

なお右売買成立に際し顧客が自己所有の自動車を提供しこれを以て新車購入代金の一部に充ててもらいたい旨希望する場合がある。これを容れて右車輛を下取りするか否か、下取車の評価額を幾何とするかは、いずれも最終的には債権者によつて定められるのであるが、顧客との合意の下に市場性のある妥当な価格で下取りされる場合には、計算上、その価格に相当する金員だけ新車販売代金が顧客より債権者に支払われたことになるとともに協力店において右価格相当金額の手形を振出して債権者より右下取車を買受ける形式がとられ、右手形もサブデイーラーを経て債権者に裏書譲渡されてゆくのであるから、実質的には協力店の負担において下取車が処理されてはゆくものの、右下取車が市場価格で引取られる限り、それは協力店に格別の負担を課すものではなく、手数料も前段の場合と同様に支払われるのであつて、債権者および顧客間の売買の形態は前段のそれと異るところはない。

ただ顧客が右車輛を市場価格以上の価格で引取るべき旨固執して譲らずその差額を協力店の取得すべき手数料を以てしても埋め合わすことができない場合であつても、その顧客との従前の取引関係や他の自動車販売業者との競争上顧客の言い値どおりで下取りせざるを得ないときには、協力店よりこの旨を告げられた債権者において協力店およびサブデイーラーの手を煩わさず直接顧客よりその言い値どおりに右車輛を下取りして(いわゆる下取車の高取り)新車を売込む措置がとられることがある。そしてこの場合に限つて前記手数料は支払われず、紹介料名義の下に金一〇、〇〇〇円ないし金一五、〇〇〇円が債権者より協力店に支払われるならわしとなつている(いわゆるバツクマージン方式)。

さらに副売方式による割賦販売においては、協力店は、爾後の賦払金支払のための手形が不渡になつたときに、債権者よりその未払の責を問われるとともに、顧客より賦払金の回収につとめ、また、右割賦販売契約解除のとき債権者に代わつて車輛を回収する責務と権限が与えられている。

平野モータースは上記の協力店の一つであり、サブデイーラーである株式会社清庵マツダの下店といわれるべきものであつて、マツダ号新車の販売を取り扱う通常の態様は叙上副売方式における協力店のそれにほかならなかつた。そして他の協力店におけると同様、平野モータースもまた債権者の販売するマツダ号自動車の標識であるマツダと表示された高さ一メートル余の三角形の立看板をはじめマツダ号諸車の宣伝用ポスター等も債権者より与えられてこれらで店頭を飾り、一見してマツダ号自動車の販売を取扱う店舖であることが明らかであるが、債権者を代理する旨の記載はそのいずれにも存せずマツダ号新車の展示されるところもなかつた。他面平野モータースは自動車の修理をも業とし、それに要する自動車部品の買入れ等の取引関係をも債権者および株式会社清庵マツダと結び、後者との間における右取引上の債務および前記手形の裏書人としての債務を担保するため極度額金二百万円の根抵当権を自己所有の不動産に設定していた。

以上の認定事実と前記(一)の認定事実とをあわせ考えると、叙上副売方式の下に債権者所有のマツダ号新車の販売方を取扱う場合において、平野モータースこと平野新治郎は、他の協力店とひとしく、右車輛販売代金の顧客よりの受領、右車輛の顧客への引渡、未払割賦金の顧客よりの取立、契約解除後における車輛の顧客よりの引上げをいずれも債権者に代わつてなす権限を債権者から付与されていることが認められるけれども、さらにすすんで、願客との間に売買契約を締結する代理権までも授与されているものと認めることは困難であり、本件自動車の売買にあつても同様であるといわざるを得ない。換言すれば、前記割賦販売契約におけるその成立の時点、関係契約書類の体裁よりみても協力店は債権者および顧客の間に立つて両者間に右契約を成立せしめることに尽力する立場に立つものであり、前記現金売買においても、売買契約書が作成されず契約成立の時点を明確にとらえ難いうらみはあるものの、なお協力店は前同様媒介者の立場にとどまるものであるというべく、ただ前段の諸行為についてだけは右の立場にありながら前記代理権を与えられているものと認められるのであつて、かような一般の場合と異なり本件についてだけ特に締約代理権が与えられているものと認め得る疎明は存しない。

かように認められ、叙上認定に牴触する証人加茂泰勇(第一、二回)、水上勇、市川嘉一、平野新治郎(第一、二回)および債務者本人の各供述部分は(二)冒頭掲記の各証拠に照らし採用し難い。

なお上記事実関係において次の諸点を考慮する必要がある。

協力店が販売代金受領に際し自己作成名義の受取証書を顧客に交付し、また顧客より協力店自身に宛て売買代金支払のための手形の振出を受けこれをサブデイーラーに裏書譲渡し、なお売買代金支払に関し自から右手形を振出す場合もある点よりすると、売買契約の当事者を引きあわせその間に契約の成立するよう斡旋する通常の媒介行為よりさらに深く協力点が右取引の成立および履行に関与していることは明らかである。しかし協力店作成名義の受取証書は、債権者において代金受領に際し発行する自己名義の受取証書が顧客に交付されるまでの間暫定的に作成されたものであり債権者名義の受取証書が顧客に引渡されるのと引換えに顧客より協力店に返還されるべき建前となつている。ただ協力店において顧客に対する関係においてこのような受取証書の差換えをなすことを好まず、債権者より作成交付された受取証書は協力店の手許に留められたまゝになつているのが実情であるけれども、債権者はこのことを知らず、これを認容しているものでもない。また売買代金の支払に関し協力店が手形債務を負担することは、協力店において売買代金の受領回収について代理権を授与されていることと対応するものであり、相当額の手数料授受の下に継続的に媒介業務の営まれている協力店および債権者間に代金支払確保のための手形が授受されることは必ずしも特異なものではなく、このことがあるからといつて直ちに協力店に売買契約締結についての代理権が与えられているものということはできない。むしろ右手形債務負担は、前示自動車分割払売買契約書の連帯保証人欄に協力店が自から署名捺印し以て買受人の右契約上の債務につき連帯保証債務を負担する事例が屡々見られること(証人市川嘉一の供述)と照応するものというべく、協力店が買主の連帯保証人でありながら売主たる債権者の代理人として両者間の売買契約を締結するとみるが如きは、背理というほかはない。

下取車の存する場合には、その評価等について協力店に裁量の余地が生ずるけれども、中古車の市場価格および協力店の取得すべき手数料額によつてその範囲はおのずから限定され、かつ、顧客に対する関係においては売買代金の一部の代物弁済として顧客より債権者に下取車の供与されるのが通常の姿であつて、いわゆるバツクマージン方式もこの姿が端的にあらわれた場合と見得るから、下取車の供される売買にあつても協力店にその締約代理権ありとすることはできない。

バツクマージン方式における紹介料に比して通常の場合の扱い手数料が相当高額であることは明らかであるが、それは、手形債務負担等に見られる債務者自身の信用の供与ならびに代金回収義務の負荷等に対する対価をも含む趣旨と解することができるのであつて、右手数料の額から協力店に債務者主張の代理権ありとすることもできない。

(三)  表見代理の成否について

債務者主張のとおり、平野モータースの店頭に債権者の販売するマツダ号自動車の商標を示す立看板等が付設掲示されており、右看板類はいずれも債権者において平野モータースを含む各協力店に送付しこれらを店頭に飾らせていることはさきに認定したとおりである。しかしまたそこに述べたとおり、右表示には右各協力店を債権者の代理人とする趣旨の記載が全く見られないこと債権者主張のとおりであつて、この種の商標類を店舗に備付けさせたことの一事をとらえて、債権者が右店舗経営者にマツダ号販売の代理権を与えた旨を一般人に表示したものということはできない。平野新治郎は平野モータースという自己固有の営業上の名称の下にマツダ号新車の販売方に関与するのみならず諸種の車輛の修理をも業としてそれに副う店舗形態をもつていたのであつて、そこに債権者マツダ号車の商標を付設されたからといつて、債務者主張の表示がなされたものとみることは妥当ではない。

次に平野モータースがマツダ号自動車販売代金受領その他これに類する事項につき代理権を有していたこと既述のとおりであり、従つて平野モータースより債務者への本件自動車の売渡は右代理権を超えてなされたものというべきであるから、債務者が平野モータースに本件自動車を売却する代理権があるものと信じ、かつ、かように信ずべき正当理由を有していたか否かが問題となる。

本件自動車の取引についても、平野モータースが協力店としてマツダ号新車の売買方を斡旋する場合におけると同様な外形がとられその一事例とみることができるけれども、前記(一)認定の事実に徴すると、平野新治郎より債務者への本件自動車の売却は、経済的破綻に直面した平野がすでに期日の到来している手形の決済資金を捻出するため窮余案出した換金手段にほかならず、極めて異常な取引であつたものと認められ、この異常さはその売買価格金三五〇、〇〇〇円に集約されているということができる。けだし、弁論の全趣旨により成立の真正を認め得る甲第二号証ならびに証人加茂泰勇(第一、二回)、同水上勇、同市川嘉一および同平野新治郎(第一、二回)(ただし一部)の各証言によれば、本件自動車を含むこれと同種のマツダ号一九六三年式TUB八一型自動三輪車の全国(ただし北海道を除く)統一販売価格金四七五、〇〇〇円はこれを厳守すべく、これを割る価格で売却しないようメーカーから強く指示されていたこと、-各種自動車の販売競争は相当激しいけれども、-平野新治郎をも含め関係業者は実際上も右価格の維持に努め、下取車を高取りする場合を除き、右統一価格を金一〇、〇〇〇円以上も下廻る価格で売却することは通常存せず、本件自動車売却当時の昭和三八年六月頃は六四年式新型車の発売される例となつている同年九月頃より三ケ月も先立ち、比較的売却し易い時期であつて右価格を引下げる事由は存しなかつたこと、本件自動車は本件仮処分に付された後金三〇〇、〇〇〇円で競売換価されその売得金が供託されたけれども、それは、通常の売買とは異る競売の方法によつたことと右競売のなされた昭和三八年一二月当時はすでに六四年型新車が発売されていて一般市場においても六三年型車の価格は大幅に急落していたことによるものであつて、右金額は本件自動車売却代金を妥当とする資料とはなり得ないこと、本件自動車の売買方斡旋について協力店たる平野新治郎の取得すべき手数料約金四〇、〇〇〇円を加算してもなお金八五、〇〇〇円の損失が平野新治郎の負担に帰する計算になること、右代金の三分の二に近いものが現金で即時に支払われるとしてもかような価格による売買は過当競争の行われる場合においても容易に起り難い取引であるこが一応認められる(証人平野新治郎および債務者本人の各供述中右認定に反する部分は前記各証拠に照して採用し難い。)からである。

ところで前示甲第四号証、証人加茂泰勇の証言(第二回)によつて成立の真正が認められる同第九号証の一、二、証人平野新治郎の証言(第二回)によつて成立の真正の認められる乙第九号証ならびに証人加茂泰勇の証言(第一、二回)証人平野新治郎(第一、二回)および債務者本人の各供述(ただし一部)を総合すると、債務者はマツダ号車とは別異の車種の販売方を取扱い、債権者の前叙販売機構・方法について格別の知識ももたなかつたけれども、平野新治郎と同様の自動車修理販売業を同一市内で長年営み、また同人とともに、同業者相互の福利親睦を図ることを目的として結成された静岡県小型自動車整備振興会の中部地区会員でもあつて県下自動車修理販売業界の実態およびその取引の態様については、すくなくともこれを知り得る立場にあつたこと、しかも本件自動車売買に約一ケ月先立つ昭和三八年五月中旬頃債務者は平野新治郎の手を経て本件自動車と同種同型の車輛を入手してこれを一般顧客たる藤浪義作に販売し同人名義への登録手続をすませた経験をもつているのであるが、その際債務者は平野に対し同人の受取るべき手数料を斟酌して算出された金四二五、〇〇〇円を右自動車買受代金として支払つていることが一応認められ、右平野証言および債務者本人尋問の結果中右認定に牴触する部分は採用し難い。

叙上各認定事実よりみると、藤浪に右車輛が売渡された事例において債務者が平野に同車輛を販売する代理権ありと信じたとしても、また平野自身がその金融操作上低廉な価格で自動車を処分するようなことは業界の実際において往々行われ得ることであるとしても、一定価格を以て集団的定型的に処理されてゆくのを常態とする新車売買にあつて、藤浪の場合よりも更に大幅に下廻る前記価格を以て平野新治郎より本件自動車を買受けてもらいたい旨の申込を受けたのであるから、瞬時のうちに決断すべきことを求められる商取引にあつても、自動車修理販売業者たる債務者としては、平野を代理人とする債権者本人においてもかような処分方法をとることがあり得るか否かについて、すなわち、かような価格で本件自動車を売却し得る代理権が平野に与えられているか否かについては、当然疑念をさしはさみこれを明確になすべきであつたと考えられ、また弁論の全趣旨よりすれば本人たる債権者に電話その他を以て確かめる等の方法によつて容易にこれを知り得たものと推察される。従つて債務者が平野に右代理権ありと信じたとしても、かように信ずべき正当理由はこれを欠くものといわざるを得ないい。

債権者が平野モータース等に対して協力店ないし下店等の名称を与えていることは、平野モータース等が債権者の下部組織であることを一般顧客に示すことなり得るし、債権者に対し平野モータースと同じ協力店の立場にある市川モータースこと市川嘉一において自己の営業上の名称に「マツダ代理店」という表示を冠した封筒を作成使用し、債権者においてもこの使用の事実を知りまたは知り得べきに拘らず強いてこれを禁止する措置を講じなかつたこと(このことは証人市川嘉一の証言と右証言によつて真正に成立したものと認められる乙第八号証とによつて一応認められ、これに反する証人水上勇の供述部分は採用し難い。)もまた、第三者をして協力店が債権者の代理人であると思はしめる誘因たり得る。さらに、たとえば、静岡ダイハツ株式会社の販売機構においては、傘下の販売店を通じてダイハツ工業株式会社製作車輛を販売する・いわゆるモータース扱による場合においても、一般顧客より振出される代金支払のための手形の名宛人は常に静岡ダイハツ株式会社であつて右販売店ではなく、また右代金の取立も右会社の商業使用人たるセールスマンによつてなされていて右販売店がこれに関与することなく(このことは証人松下隆の証言によつて一応認められる)、右会社および販売店間の法律関係が簡明に理解され得るのに比し、債権者とその協力店との間の法律関係には明確な規整がなく、その間の実情を全く知り得ない一般顧客をして右両者間に債務者主張のような代理関係ありと思い誤らしめる要素の多く存することはこれを否定し得ない。かような法律関係の不明確さが、債務者の主張するように、企業の販路拡大の方策として意識的に採用されたものである場合はもとより、そうでない場合であつても、その不明確さから生れる一般顧客への表示、債権者の採る前叙副売方式によつて醸成される外観の下に一般顧客との間に生起すべき法律関係については、表見代理の法理の適用が十分に考慮されるべきであろう。

しかし本件自動車は、買主が一般顧客とは異なる業者であり且つ取引の内容が一般の新車売買に通常具備される類型を著しく欠く点において、表見代理の適用を受くべき素地を有しないものというべきである。

(四)  以上のとおり債務者主張の代理権の存在も表見代理の成立も認められないから、平野新治郎および債務者間の本件自動車売買においてその所有権をも同時に移転する約旨の下に引渡がなされたとしても、債務者がこれによつて本件自動車の所有権を取得することはできないものというべく、債務者において本件自動車を占有すべき権原の存することについては疎明がないというほかはない。

第三、従つて債権者は所有権にもとづいて債務者に対しその占有する本件自動車の引渡を求め得るものというべきである。しかも債務者が本件自動車について一般顧客たる望月重雄との間にすでに売買契約を締結した状況の下にあることはさきに認定したとおりでありその他弁論の全趣旨に徴すれば債権者の本件自動車引渡請求権の執行を保全する必要が現在もなお存することは明らかである。

よつて本件仮処分申請は、その被保全権利の存在について疎明があり保全の必要性についても一応これを認め得るのみならずすでに債権者において保証を立てているので、理由があるものと認められるからこれを認容すべく、これと同趣旨に出でた主文第一項掲記の仮処分決定はこれを認可すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条第九五条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 萩原直三)

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